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まるたん アンリ・マルタン
1860年フランスに生まれる。1943年没する。故郷トゥールーズの美術学校を経て、パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ。古典的でアカデミックな作品を描いて1883年のサロンで一等賞を受ける。その後4年間ローマに滞在する。帰国後、スーラの影響もあって、点描による作品を発表し、世間を驚かす。1900年の万国博覧会でグランプリ、1914年にはレジオン・ドヌール三等勲章を受ける。1917年には美術アカデミー会員となる。また、パリ市庁舎の壁画制作(1895-1906年)を始め、建築の装飾なども行った。
カテゴリー:作家
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 |
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