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くうぁく どぅく じゅん クウァク・ドゥク=ジュン(郭徳俊)
1937年京都府に生まれる。1955年京都府立日吉ヶ丘美術工芸高校日本画科を卒業。1966年京都における初個展以降、京都、大阪、東京、ソウルなどで活発に個展を開くとともに、サンパウロ・ビエンナーレ展をはじめ、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展、ソウル国際版画ビエンナーレ展、クラコウ国際版画ビエンナーレ展など、世界各地の国際版画展に出品し活躍。「無意味なものを意味化せず事実を確認する」という方法論を基礎として、主に写真を用いた概念的表現をシルクスクリーンによって行なっている。パフォーマンスやビデオ・アートの分野でも知られており、1970年にメジャーメール・イベントを71年にはヒエイ空気採集移送イベントを行ない、74年から79年まで「国際オープン・エンカウンター・オン・ビデオ」展へ連続出品、78年には「京都国際映像」展へ参加するなど活躍を続けている。
カテゴリー:作家
レンツとは?【 作家名 】 ウィーン工芸美術学校でミヒャエル・リーザーおよびフェルディナント・ラウフベルガーに師事。その後、ウィーン美術アカデミーでカール・ヴルツィンガー、クリスティアン・グリーペンケールおよびアウグスト・アイゼンメンガーに師事。奨学金を得て2年間ローマ留学。銅版画家フェルディナント・シルンベックと共に1890年代に発券銀行の委託でブエノスアイレス銀行券をデザイン。1898年から1902年、「ヴェル・サクルム」のための作品:第1号の「春の営み」、通卷第5巻および創立者版のカレンダー「4月」および「7月」通卷第1巻の「春」および「秋」。1903年、モザイク研究のため、クリムトと共にラベンナに旅行。1898年から1939年、ウィーン分離派のメンバー、一連の展覧会に出品(第1回展および第14回展の室内装飾デザイン、第14回展のカタログの木版画、その他、モザイク、銅細工、フレスコ画など多数)。 |
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