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り うー ふぁん リ・ウー=ファン(李禹煥)
1936年韓国に生まれる。1956年ソウル大学校美術大学を中退して日本に渡り、以降日本に定住する。1961年日本大学文学部哲学科を卒業、在学中ハイデッカーやニーチェなどの西洋思想を学ぶかたわら、洋画や韓国の伝統的絵画を学ぶ。1960年代末期から70年代初頭にかけてものを使った「彫刻」を発表し、また一連の評論活動によって関根伸夫とともにいわゆる「もの派」の中核を形成、当時の美術の動向を主導する作家の1人となる。1970年代になって〈点より〉、〈線より〉の秀れた平面作品のシリーズを生み出し、77年現代日本美術展で東京国立近代美術館賞、79年東京国際版画ビエンナーレ展で京都国立近代美術館賞、ヘンリー・ムーア大賞展で優秀賞などを受賞、77年にはカッセルの「ドクメンタ6」に出品する。1972年以降多摩美術大学で後進の指導にあたる。
カテゴリー:作家
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
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