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は とん ちょる ハ・トン=チョル(河東哲)
1942年韓国に生まれる。ソウル大学絵画科に学び、1969年修士号を取得。1974年第23回韓国国展で文化情報大臣賞を受賞。1978年、ニューヨークで開催された第1回在米韓国美術家協会展、83年イタリア、ミラノでの韓国現代美術展、また、東京、大阪、福岡、札幌を巡回した韓国現代美術展に出品。同年、サンフランシスコでの、ソウル=サンフランシスコ版画素描交流展、1986年第42回ヴェネチア・ビエンナーレ、88年第24回ソウル・オリンピック記念韓国現代美術展に出品。福岡市美術館が開催しているアジア現代美術展には、1985年の第2回展、89年の第3回展に出品している。
カテゴリー:作家
退廃芸術とは?【 美術用語 】 ナチスの芸術イデオロギーの標語。1933年にヒトラーが権力を握ると、それ以前のヴァイマール共和国時代に発展してきた表現主義やバウハウスなどの現代美術に「退廃芸術」の烙印を捺し、組織的に抑圧して行った。バウハウスは「文化的ボルシェビィズムの温床」として閉鎖され、現代美術運動に同調的な教師や美術館員は職を追われ、発言も封じられた。反面、運営・イデオロギーの両面で政府の統制下に置いたアカデミックな芸術を育成し、「退廃芸術」に対して「ドイツ芸術」と称した。1933年カールスルーエで開かれた「1918年から1933年までの公認美術」展を最初に、現代美術の面目を潰し愚弄しようとする展覧会が相次いで開かれるが、その頂点を成すのが、1937年ミュンヘンで開かれた「退廃芸術」展である。この展覧会のために全国から現代美術の作品が接収され、展覧会終了後、競売や画商を介して売られ、残りは1939年に焼かれた。 |
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