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たん すい ひゃん タン・スイ=ヒャン(陳瑞獻)
1943年インドネシアに生まれる。国籍は、シンガポール。中国高等学校を卒業後、ナンヤン大学で英語と文学を専攻し、1968年同大学を卒業。1969年から美術と文学の雑誌「チャオ・フーン・マンスリー」の顧問、また、87年からUOB絵画賞展の審査員、シンガポール政府の芸術文化評議会の視覚芸術委員をつとめている。1980年、82年、84年、86年のシンガポール芸術祭、84年のシンガポール美術25年展など国内での展覧会に出品するほか、82年第2回ASEAN絵画写真展への出品、85年パリのグラン・パレで開催されたサロン・デ・アルティスト・フランセでの金賞受賞、88年、中国の武漢博物館での中国水墨画国際展、韓国ソウルでの第24回ソウル・オリンピック記念水墨水彩画展、89年福岡市美術館での第3回アジア美術展に出品するなど国際舞台で活躍している。また、1979年フランス政府から、芸術文学勲章、1987年シンガポール文化勲章、1988年フランス政府から国家功労賞、シンガポール・インド美術協会からカナラ・ラトナ賞を受賞している。
カテゴリー:作家
バルビゾン派とは?【 美術用語 】 パリの東南、フォンテーヌブローの森の北西にある小村バルビゾンを、1830年頃からテオドール・ルソーやコローら若い画家たちが訪れ、風景を描いていた。そして、1835年のルソーに続いて、ミレー、コロー、トロワイヨン、ドービニー、デュプレらが、1840年代にかけて相次いで移住し、風景画を描くグループを形成した。この集団をバルビゾン派というが、それぞれ独自の画風をもっており、ミレー、コローなど、同じバルビゾン派としてひとまとめにするのが難しい作家もいる。しかし、おおむねコンスタブルやボニントンらのイギリスの風景画や、17世紀オランダの風景画からの影響が強い。当時、一般的となっていたイタリア旅行もせず、主にバルビゾンで制作した彼らにとって、自然は、ほとんど崇拝の対象に近いものであった。また、風景それ自体に興味を示し、古典的な規範に反抗するその態度は、当時としてはかなり革新的なものであった。すぐ後に続く写実主義や、印象派に与えた影響も少なくはない。 |
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