ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


イベルス



異邦人の訪問



今尾景年



今中素友



今西中通



「今はここで努力しよう。」



今村紫紅



イメージの解剖学



イヨクインデュストリデザイン



刺草(いらくさ) エルメスジャポン HERMES PARIS 10.28-12.30 2001



入相告ぐる頃



入江波光



入口,入口



イリブ



色の点になれば



〈色の伝説〉



岩倉寿



岩崎教章



岩につながれたアンジェリカ



岩の聖書


<前 (13/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


こー うどむうぃっと

ターウォン・コー=ウドムウィット

1956年タイ王国に生まれる。バンコクの工芸大学で学んだ後、シルパコン大学絵画彫刻版画学部で、版画学士号、版画修士号を取得する。1981年以降、同大学で後進の指導にあたっている。1987年には、名古屋芸術大学に留学。1979年、第25回タイ国展の版画部門で2等賞を受賞、翌80年ホンコンでの現代アジア青年美術展で特別賞受賞。また、旧西ドイツのフレヘン国際版画ビエンナーレ、旧ユーゴスラビアのリュブリアナ国際版画ビエンナーレ、リエカ国際オリジナルドローイング展、韓国のソウル国際版画ビエンナーレ、旧チェコスロバキアのブルノ国際版画ビエンナーレ、ポーランドのクラコウ国際版画ビエンナーレ、ノルウェー国際版画ビエンナーレ、英国国際版画ビエンナーレ等、海外の展覧会に積極的に出品している。日本においても、和歌山県立近代美術館での和歌山版画ビエンナーレ、福岡市美術館でのアジア美術展に出品。1983年84年には、J.D.ロックフェラー3世財団から、アジア文化評議会奨学金を受けている。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ロースとは?【 作家名 】

12歳のとき、難聴になる。ライヒェンベルクの国立工芸学校の建築技術科、1890年から1893年、ドレスデンの工科大学で学ぶ。1893年から1896年、米国に滞在、1893年にはシカゴ万国博覧会を訪れる。H.サリヴァンと知り合う。1896年以降、ウィーンで建築家として働く。1897年以降多くの新聞雑誌の記事に、製品デザインと建築における、即物的な造形の基本理念を述べている。1898年、「ヴェル・サクルム」に、「ポチョムキン的な街」を発表する。1899年、質素で最新、機能的なデザインの最も初期の一例である、カフェ・ミュージアムの室内インテリアに携わる。同様に、彼が内装設計した「ケルントナー・バー」は、俗に「ロースバー」と呼ばれ、今日に至るまで大々的には変わることなく維持されている。彼の著述においては、装飾への彼自身の考え方に対しても、仲間たちに対してや名前の表記の仕方(彼は氏名を全て小文字で現す)に関しても、妥協を許されていない。1908年、講演「装飾と罪悪」では、彼の願望の一部分を現している。すなわち、合理化と余剰なもの−とりわけ装飾における−の放棄による、労働時間の短縮と、それによって得た自由な時間のことである。彼は幾何学的な装飾を、装飾の悪習と呼んでいる。1910年から1911年、ミヒャエーラープラッツにある邸宅の建築。これについては多く議論され、激しく拒絶されることになる。1912年から1914年、アドルフ・ロース建築学校が設立される。1921年、五十歳を祝して、仏で彼の著作物が蒐集された後、出版される。晩年、完全に耳が聞こえなくなり、1931年、重い神経症にかかる。自分の墓石の碑文には、「人類を無駄な労力から解放する・・・アドルフ・ロース」と刻むよう望んでいた。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ロース

キーワードを含む記事
11件見つかりました。

  機能主義

  キース I

  クリスマスのメニュー

  チャック・クロース

  グロースター港

  オスカー・ココシュカ

  スーパーリアリズム

  「ダス・アンデレ」

  ヨーゼフ・ホフマン

  マルタ/フィンガーペインティング

  アドルフ・ロース


<前   次>

徳島県立近代美術館2006