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ぐるじぃ グルジィ
1926年パキスタンに生まれる。インド、ウッタル・プラデーシュのアリガァ大学で工学士号を取得。1947年、ニューヨークのコロンビア大学で水力学修士号、48年ハーバード大学で土壌学修士号取得。アメリカ、スウェーデン、国連機関で技師を勤めたのち、パキスタン政府中央工学公社副所長、駐カナダ・パキスタン大使館一等書記官待遇連絡員を歴任。作家活動としては、1950年スウェーデンのストックホルムでの初個展を皮切りに、パキスタンだけでなく、カナダ、アフガニスタン、イラン、サウジアラビア等での個展、また、パキスタン国展で発表を続ける他、1960年ロンドンでのイギリス連邦展、1980年、89年の福岡市美術館のアジア現代美術展などの国際展にも出品している。1970年パキスタン美術への貢献に対して、大統領優秀功労メダルを、82年と89年に、パキスタン大統領よりシタラ=E=イムティアズ殊勲賞、88年、パキスタン政府からクアイド=E=アザム先達賞を受賞するなど受賞歴も多い。
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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