![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ぐるじぃ グルジィ
1926年パキスタンに生まれる。インド、ウッタル・プラデーシュのアリガァ大学で工学士号を取得。1947年、ニューヨークのコロンビア大学で水力学修士号、48年ハーバード大学で土壌学修士号取得。アメリカ、スウェーデン、国連機関で技師を勤めたのち、パキスタン政府中央工学公社副所長、駐カナダ・パキスタン大使館一等書記官待遇連絡員を歴任。作家活動としては、1950年スウェーデンのストックホルムでの初個展を皮切りに、パキスタンだけでなく、カナダ、アフガニスタン、イラン、サウジアラビア等での個展、また、パキスタン国展で発表を続ける他、1960年ロンドンでのイギリス連邦展、1980年、89年の福岡市美術館のアジア現代美術展などの国際展にも出品している。1970年パキスタン美術への貢献に対して、大統領優秀功労メダルを、82年と89年に、パキスタン大統領よりシタラ=E=イムティアズ殊勲賞、88年、パキスタン政府からクアイド=E=アザム先達賞を受賞するなど受賞歴も多い。
カテゴリー:作家
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||