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くうぁく いんしく クウァク・イン=シク(郭仁植)
1919年韓国に生まれる。1988年日本で没する。19歳の時に来日、戦前は独立美術協会展に、戦後は二科会展や美術文化協会展に出品し、1955年には美術文化賞を受賞。1957年以降無所属作家として個展や内外の国際美術展で作品を発表した。1960年代のガラス板や金属板などの素材による作品は「もの派」に大きな影響を与えるなど、現代美術の先駆者的な役割を担った。1985年には韓国の国立現代美術館で大規模な回顧展が開催されている。
カテゴリー:作家
アレシンスキーとは?【 作家名 】 1927年ベルギーに生まれる。ブリュッセル装飾美術学校に学び、1947年に初個展を開く。この頃、マグリットらシュールレアリスト達とも出会う。1948年パリへ旅行した後、49年から3年間、カレル・アペルらと共に結成したグループ、コブラの最年少メンバーとして活躍する。第二次世界大戦後の抽象表現における表現主義的な傾向を代表するこのグループは、短命ではあったが、激しい筆触と鮮やかな色使いで、強烈な衝撃を各方面に与えた。彼自身は記号を重ねたり並べた画面を作った。1951年からパリに移住し、絵画のみならず、壁画、室内装飾、ポスター、映画、銅版画などにも取り組む。日本の書道にも興味を示し、森田子龍と交流する。1955年には来日し、子龍と共に映画〈日本の書〉を製作した。1965年にはアメリカを訪れ、ユダヤ美術館で個展を開いた。1977年にはメロン賞を受賞した。 |
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