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あーみてじ ケネス・アーミテジ
1916年イギリスに生まれる。2002年没する。1934年から37年まで生地のリーズ芸術大学に学んだ後、39年までロンドンのスレード美術学校で彫刻を学ぶ。卒業後の7年間軍隊に勤務し、第2次世界大戦に従軍。1946年から56年まで、コーシャムのバス・アカデミーで彫刻を教える。1952年に最初の個展を開催。1953年から55年リーズ大学グレゴリー特別研究員。1956年ドイツのクレフェルト市戦争碑国際コンペで第1位。1958年第29回ヴェネチア・ビエンナーレ展デヴィッド・ブライト基金賞受賞。1965年ニューヨーク近代美術館の「新しい視覚」展、77年の現代イギリス彫刻展など各国の彫刻展で活躍。ヘンリー・ムーアの影響を受けながら、幾何学的なデフォルメを加えた生気ある人体表現を行ない、チャドウィックとともにイギリスの戦後彫刻界の代表的作家となる。1960年後半以降、腕など体の一部分で人間を表わす作品を手がけ、ユーモラスな性格を強めている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
ガボとは?【 作家名 】 1890年、ロシア、ブリアンスクに生まれる。本名ナウム・ネーミャ・ペヴスナー。アントワーヌ・ペヴスナーは兄。1910年、ミュンヘン大学の医学生となるが、12年に工学に転向する。また、ヴェルフリンの美術史の講義を聴く。1913年から14年にかけて、パリにいる兄ペヴスナーを訪ね、アーチペンコ、グレーズなどキュビストと知り合う。1914年頃から制作を始めるが、同年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツとロシアが敵国となったため、ミュンヘンからコペンハーゲンに移り、その後オスロに移り、大戦中は兄とそこで過ごす。この時期に、兄を通じてロシアの構成主義を知り、キュビスム風の具象的な作品から、幾何学的な構成へと変化する。1917年、兄と共にロシア革命後のソヴィエトに戻り、モスクワでタトリン、マレヴィッチ、カンディンスキーらと交流するが、しだいにタトリンらの有用性を重視した芸術観との間の意見の相違を見る。1920年ペヴスナーと「リアリズム宣言」を出す。1923年にはベルリンに移り、ナチスによるアトリエ襲撃のあった32年までそこで住み、バウハウス関係者らと交流する。1946年、アメリカに渡り、制作を続けた。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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