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あるぷ ジャン・アルプ
1886年フランスに生まれる。1966年に没する(オランダ、バーゼル)。ワイマール美術学校、パリのアカデミー・ジュリアンに学ぶ。1912年ブラウエ・ライター、翌年シュトゥルムの活動に関わり、16年からはダダの中心的人物として活躍する。1925年にはシュルレアリスムの運動に参加。また1930年にはセルクル・エ・カレ、翌年に「抽象・創造」と、抽象美術の活動にも参加、ダダと抽象美術にまたがる幅広い活動を展開した。絵画の他にも、コラージュ、彩色レリーフ、ちぎり絵のコラージュ(ハピエ・デシレ)、彫刻等を手掛け、更に詩人としても活躍する。1954年ヴェネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞、63年フランス芸術大賞を受賞。1965年ロカルノ名誉市民となる。1958年ニューヨーク近代美術館、62年にポンピドゥ・センターで大回顧展が開催された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
小堀鞆音とは?【 作家名 】 下野(現栃木県)に生まれる。本名桂三郎。農業を営みながら絵を描いた父や兄の手ほどきを受けた後、明治17年(1884)上京。同年、第二回内国絵画共進会へ出品した作品に対して、川崎千虎が有職故実の問題点を指摘したのをきっかけとして、千虎に入門。土佐派と有職故実を学ぶ。内国勧業博覧会で受賞を重ねた他、日本青年絵画協会、日本絵画協会に参加。東京美術学校助教授となるが、美術学校騒動で辞任。日本美術院創立に参加し正員となる。美術院と日本絵画協会の連合共進会に出品するが、次第に離れていき、日本美術協会に出品することが多くなる。紫紅会、歴史風俗会を設立。明治41年(1908)東京美術学校に復職し、教授となる。文展審査員、帝室技芸員、帝国美術院会員などを勤めた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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