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イベルス



異邦人の訪問



今尾景年



今中素友



今西中通



「今はここで努力しよう。」



今村紫紅



イメージの解剖学



イヨクインデュストリデザイン



刺草(いらくさ) エルメスジャポン HERMES PARIS 10.28-12.30 2001



入相告ぐる頃



入江波光



入口,入口



イリブ



色の点になれば



〈色の伝説〉



岩倉寿



岩崎教章



岩につながれたアンジェリカ



岩の聖書


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あんてす

ホルスト・アンテス

1936年ドイツに生まれる。カールスルーエ国立美術学校に学び、1950年代はドイツ表現主義のような強い色彩を用いて描いた。1959年ドイツ青年画家展や、61年パリ青年ビエンナーレなどに出品し、注目される。1962年から63年にかけてイタリアを訪門し、また66年のヴェネチア・ビエンナーレではユネスコ賞を受賞した。1973年以降は、母校に戻って教鞭をとりながら制作を続ける。大きな頭を持ち、胴体がなくてすぐに足に続いており、両腕がむなしく宙に浮いている、独特の人物像は地の神(Gnome)を表現している。マスクのようでもあり、思いにふけっているような巨大な頭は背景の、時には室内であり時には廃墟であったりする光景の中に置かれることによって、現代の神話の英雄として現実化される。その世界は見る者をまき込む夢の共同体を思わせるものであり、エルンストシュルレアリスム的なドラマに通じるものがあるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)


カテゴリー:作家
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幸野楳嶺とは?【 作家名 】

京都に生まれる。名は直豊、字は思順、幼名角三郎。旧姓は安田。父の実家の姓を名のる。はじめ円山派の中島来章に師事するが、明治4年(1871)師の許しを得て、四条派の塩川文麟につく。明治10年(1877)文麟の没後は、四条派を率いた。京都府画学校設立の建議書を知事に提出。明治13年(1880)の同校創立に際して、北宗科出仕となるが、翌年退職し私塾を開く。第一回内国絵画共進会で褒状を、第二回展で銀章を得たのをはじめ、パリ万国博覧会やシカゴ万国博覧会などに出品。また、京都青年絵画研究会、京都美術協会の設立に尽力。京都府画学校の校制改革で再就任し、同校教授、教頭となつた。明治26年(1893)帝室技芸員。菊池芳文竹内栖鳳都路華香、谷口香●(こうきょう)、上村松園などを育てた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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