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くりすと クリスト
1935年ブルガリアに生まれる。1952年から56年は生地ブルガリアで、56年にはチェコスロバキアのプラハで、57年にはオーストリアのウイーンで勉強した。1958年から6年間はパリに住み、64年にはニューヨークに移住、73年にはアメリカに帰化した。修業中は生活のため巨匠の様式をまねた肖像画を描いたりもしていたが、パリで1958年に作った〈目録〉という作品で独自の道を歩み始める。びんや缶、カゴなどを、あるものは梱包し、あるものはそのままで、積み重ねたこの作品のコンセプトは発展してさらに大きなものへと向かう。彼はビルや橋、さらには峡谷や島までも布によって梱包してしまう。また布の壁や布の門や大きなカサを何キロにも続けて置いていく、ということもする。1990年には、茨城県とカリフォルニアで同時にカサが並べられる。公共の場所を梱包したり封鎖したりすることについて理解を得るために、社会や政治を巻き込んでいくその大がかりなプロセスにはロマンが感じられることだろう。
カテゴリー:作家
キスリングとは?【 作家名 】 ポーランド、クラクフに生まれる。同地の美術アカデミーで学んだ後、1910年パリに出てモンマルトルに住み、エコール・ド・パリの代表的作家となる。モディリアニ、シャガール、スーチン、ピカソ、ブラックや、詩人マックス・ジャコブらと親しく交わる。第一次世界大戦では、外人部隊に志願するが、重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。1916年フランス国籍を得る。キュビスムからも影響を受けるが、ドランからの影響が最も大きい。第二次世界大戦の際アメリカに亡命するが1946年フランスに戻る。肖像や裸婦、静物(特に花)などを多く描いたが、特に異国的情緒の漂う裸婦が有名である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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