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くりすと クリスト
1935年ブルガリアに生まれる。1952年から56年は生地ブルガリアで、56年にはチェコスロバキアのプラハで、57年にはオーストリアのウイーンで勉強した。1958年から6年間はパリに住み、64年にはニューヨークに移住、73年にはアメリカに帰化した。修業中は生活のため巨匠の様式をまねた肖像画を描いたりもしていたが、パリで1958年に作った〈目録〉という作品で独自の道を歩み始める。びんや缶、カゴなどを、あるものは梱包し、あるものはそのままで、積み重ねたこの作品のコンセプトは発展してさらに大きなものへと向かう。彼はビルや橋、さらには峡谷や島までも布によって梱包してしまう。また布の壁や布の門や大きなカサを何キロにも続けて置いていく、ということもする。1990年には、茨城県とカリフォルニアで同時にカサが並べられる。公共の場所を梱包したり封鎖したりすることについて理解を得るために、社会や政治を巻き込んでいくその大がかりなプロセスにはロマンが感じられることだろう。
カテゴリー:作家
荻原守衛とは?【 作家名 】 1879年長野県穂高町に生まれる。1910年没する。1899年画家を志し上京、小山正太郎の不同舎で学ぶ。1904年渡欧中にロダンの「考える人」に感動し、彫刻家を志す。1908年第2回文展で「文覚」が三等賞を受賞。1909年第3回文展で「北条虎吉氏肖像」が三等賞を受賞する。第4回文展で絶作「女」が三等賞受賞。守衛はロダンから、彫刻を量塊としてとらえ、その中に有機的な躍動感を盛り込むことで、彫刻が空間の中で息づくのだということを学んだ。そして守衛の存在はまた、日本近代彫刻の礎となっている。彼の作品に込められた内的な生命感は、彫刻の自立を促すものであり、「坑夫」「デスペア」などはいずれも、日本近代彫刻史を語るに不可欠な作品で、若くして去った守衛の代表作といえる。碌山と号す。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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