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ぐりーん アンソニー・グリーン
1939年イギリスに生まれる。スレード美術学校に学んだ後、60年から翌年にかけてフランス政府給費留学生としてパリとシャトールに滞在。1963年グルベンキアン賞受賞。1954年からロンドン・グループ展に出品し64年同会会員に選ばれる。1967年から69年までハークネス財団奨学金により渡米し、ニュージャージーとカリフォルニアに滞在。1966年以降ロイヤル・アカデミー展に出品し、71年ロイヤル・アカデミー準会員。1977年同展でエギジビット・オブ・イヤーを受賞するとともに、ロイヤル・アカデミー正会員に選ばれる。1982年には、ブリティッシュ・カウンシル主催で日本各地を巡回した「今日のイギリス」展に出品するなど、現代イギリス具象絵画を代表する作家と目されている。変形キャンバスを用いた複雑な空間に、作家自身の私的な生活を細密な筆致で描き出す表現は、現代におけるアンティミスム(親密派)の表われとして高く評価されている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
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クリムトとは?【 作家名 】 1862年ウィーンに生まれる。1876年に奨学金を得てオーストリア芸術産業美術館付属の工芸学校に入学、7年間同校に学ぶ。1883年、弟エルンスト、同窓のF.マッチュと共に美術家協会を設立し、ブルク劇場やウィーン美術史美術館など多くの装飾画を手掛ける。この時期の作品はいまだアカデミックな画風で描かれており、ブルク劇場のフレスコ画の制作によって勲章を授けられたが、1897年にウィーン分離派を結成し、その初代会長となると、アール・ヌーヴォー様式を大幅に取り入れた独自の様式を成熟させていった。1903年にはウィーン工房の設立に協力し、翌年、ブリュッセルのストックレー邸の食堂のためにモザイクのフリーズを制作し始める。この間、ウィーン大学の壁画やマックス・クリンガー展のための《ベートーヴェン・フリーズ》が賛否の渦を巻き起こす。1905年分離派を脱退し、翌年オーストリア美術家連盟を結成、1908年の「クンストシャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる。第9回ベネチア・ビエンナーレ(1910年)で「クリムトの部屋」が設けられたり、1911年のローマ国際美術展で最優秀賞を獲得したりするなど、ヨーロッパ美術界で重きをなしていった。1917年、ウィーンとミュンヒェンの造形芸術アカデミーがクリムトを名誉会員に迎る。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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