![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ぐりーん アンソニー・グリーン
1939年イギリスに生まれる。スレード美術学校に学んだ後、60年から翌年にかけてフランス政府給費留学生としてパリとシャトールに滞在。1963年グルベンキアン賞受賞。1954年からロンドン・グループ展に出品し64年同会会員に選ばれる。1967年から69年までハークネス財団奨学金により渡米し、ニュージャージーとカリフォルニアに滞在。1966年以降ロイヤル・アカデミー展に出品し、71年ロイヤル・アカデミー準会員。1977年同展でエギジビット・オブ・イヤーを受賞するとともに、ロイヤル・アカデミー正会員に選ばれる。1982年には、ブリティッシュ・カウンシル主催で日本各地を巡回した「今日のイギリス」展に出品するなど、現代イギリス具象絵画を代表する作家と目されている。変形キャンバスを用いた複雑な空間に、作家自身の私的な生活を細密な筆致で描き出す表現は、現代におけるアンティミスム(親密派)の表われとして高く評価されている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
河合新蔵とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎の水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||