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ちゃどうぃっく リン・チャドウィック
1914年イギリスに生まれる。建築製図家として働き、第2次世界大戦中1941年から44年まで海軍の飛行士として従軍。戦後テキスタイルの制作、家具や建築のデザインに携わりながら彫刻を学ぶ。初期の作品はコールダーの影響を受けたもので、1947年にはじめて発表した作品もモビールであった。1950年最初の個展をロンドンで開催。モビールとともに構成的作品を制作するが、昆虫や動物を題材にした象徴的作風を経た後に、人間をモチーフとして鋭角的な面取りを行なう表現を展開する。戦後ヘンリー・ムーアを代表とするイギリス彫刻が国際的に高い評価を受けるが、ムーアに続く世代の作家として注目を集め、1956年第28回ヴェネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞を受賞。その後、抽象性を強めた彩色彫刻も試みながら様々な国際展に出品し、近年も1988年のヴェネチア・ビエンナーレ展に出品。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
三宅克己とは?【 作家名 】 1874年徳島県に生まれ、1954年に没した。旧徳島藩江戸留守居役だった父が、蜂須賀家の養育係となったため、6歳のとき家族で東京に移住。近所には、洋画家・高橋由一の画塾があり、絵に関心をもつようになったと言われている。大野(曽山)幸彦、原田直次郎に洋画を学ぶが、来日中のイギリス人画家ジョン・ヴァーリー(バーレイ)の水彩画に感動し、水彩画家を目指すようになった。1897年、アメリカに渡り、一時イェール大学付属美術学校でも学んでいる。翌年ロンドンに移り、フランスやベルギーを経て帰国。その後、日本各地はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、中国へたびたび出かけ、風景画を描き続けた。1899年白馬会会員。同会の解散後は、光風会の創立に参加。1907年に文展(文部省美術展覧会)が開設されると、第一回展から出品し、以後、文展や帝展(帝国美術院美術展覧会)、新文展、戦後の日展で活躍。1915年の文展で2等賞(最高賞)を受賞。翌年から無鑑査となり、帝展、新文展では審査員もつとめた。水彩画を独立した洋画の一分野ととらえ、透明水彩の繊細な表現を追求するとともに、水彩画に関する著書を多数刊行するなど、水彩画の普及に尽力した。昭和初期には、写真に関する啓蒙書も執筆。晩年の1951年、日本芸術院恩賜賞を受賞している。 |
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