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でいう゛ぃーず ジョン・デイヴィーズ
1946年イギリスに生まれる。1963年から67年までマンチェスター美術大学で絵画を学んだ後、ロンドンのスレード美術学校で彫刻を学び69年に卒業。1970年以降ロンドンとケントで彫刻の制作に携わっている。1970年セインズベリー賞を受賞。1973年パリ国立近代美術館の国際青年ビエンナーレ展や76年のヴェネチア・ビエンナーレ展、77年カッセルの「ドクメンタ6」などヨーロッパの諸都市で作品を発表している。アメリカのスーパー・リアリズムの彫刻家ドァン・ハンソンのように人体から直接型を取る技法を用いるが、実物に似せた彩色を加えず、衣装の布も彫刻的な変化を加えて用いるなど表現性が強い。日常生活に題材を取りながら、人体を灰色に塗り、厚紙とワイヤーの奇妙な造形物を付け加えることで、戦前のシュルレアリスム彫刻に近い表現を示している。ヨーロッパにおけるスーパー・リアリズム彫刻の特徴をよく示した作家である。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
下村観山とは?【 作家名 】 現在の和歌山市に生まれる。一家をあげて上京。はじめ藤島常興に狩野派の手ほどきを受けた後、狩野芳崖、橋本雅邦に学ぶ。東洋絵画共進会、鑑画会に出品し、明治22年(1889)東京美術学校に一期生として入学。卒業と同時に、助教授となる。美術学校騒動では、岡倉天心とともに辞任し、日本美術院創立に参加。正員となる。明治34年(1901)美術学校に教授として復職。2年間、文部省留学生として、イギリスで水彩画の研究などを行った。美術院の五浦移転に従い、美術学校を辞職。大正3年(1914)には、横山大観とともに日本美術院を再興し、以後、院展を中心に活躍した。帝室技芸員、フランス・サロン準会員をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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