![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
ばいるれ トーマス・バイルレ
1937年ドイツに生まれる。1958年から62年までオッフェンバッハ・アート・スクールで学ぶ。1966年にはフランクフルトのヘッセン青年芸術家賞、70年と74年にはブラッドフォードの版画ビエンナーレ賞、73年にはグレンヒェンの版画トリエンナーレ賞を受賞する。1975年以降はフランクフルトのシュテーデル美術学校で教鞭をとる。初期にはモーター仕掛けの作品を作ったりしていたが、1969年以降は単純な形を寄せ集めて、それらの集積の中から思わぬ全体像が出現するような作品を制作する。都市や人間をテーマにしたそれらの作品は、1977年の来日以来、それまでのドローイングから写真やデジタルコピーを利用したコラージュへとその趣を変える。無意味な、そしてより無機的な断片が高密度に集積されてできた都市や人間の全体像は、大量生産や、複製、反復によってでき上がった現代の巨大な大都市の姿でもあるだろう。各地で展覧会を開いており、また日本にもたびたび訪れている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
ワーグマンとは?【 作家名 】 ロンドンに生まれる。1857年アロー号事件で中国に渡り『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の特派員として広東、香港、マニラをまわる。1860年北京に従軍して、のち帰英。1861年ふたたび中国におもむいて来日。横浜に住み、1862年『ジャパン・パンチ』創刊。おもに風俗画を制作する。門下に五姓田義松、高橋由一、小林清親などが集まるが、1887年帰英。翌年ロンドンで展覧会を開いたのちふたたび来日した。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
||