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ふぃりっぷす ピーター・フィリップス
1939年イギリスに生まれる。バーミンガム美術学校に学んだ後、ロンドンのロイヤル・アカデミーに進み1962年に卒業。1966年スイスに本拠を定めるが、世界各地を旅行し制作を続ける。1961年ロンドンのRBAギャラリーの「ヤング・コンテンポラリー」展に、翌62年ポップ・アートの拠点シドニー・ジャニス画廊の「ニュー・リアリスト」展に出品。1962年にサンフランシスコ近代美術館などアメリカ各地を巡回した「今日のイギリス美術」展や、65年にストックホルム近代美術館で開催された「オプ・アンド・ポップ」展などに出品し高く評価される。1967年ストラットフォード・アポン・エイボンのシェークスピア劇場の玄関をデザインし、1976年にはハンブルグ美術協会の「ポップ・アートの再発見」展に出品。「ビルボード」誌などの商業雑誌の写真を題材にしながら、その形態を明快な平面に変え、メタリックな彩色を加えて大画面に構成する作風が知られている。
カテゴリー:作家
森田恒友とは?【 作家名 】 1881年埼玉県に生まれる。上京して小山正太郎の不同舎に入門。東京美術学校西洋画科にすすみ、卒業後進学していた研究科を1907年(明治40)やめ、石井柏亭、山本鼎らと同人雑誌「方才」を創刊する。また詩人北原白秋らとパンの会を起こす。同年開設された文展に入選。その後一時、秋田や大阪で教員や新聞社に就職するが再上京し、1914年(大正3)渡欧する。帰国後は、セザンヌやドーミエ、またキュビスムに影響された作品を発表する。翌年、二科会の会員になる一方、院展洋画部に出品し、翌年同人に推挙される。また同年、小川芋銭、川端龍子、小川千甕らとともに日本画家の団体珊瑚会を結成。しだいに水墨画家の活動もはじめる。1917年、院展に専念するため二科会を退会。1920年には院展同人とともに日本美術院を脱退、1922年春陽会を結成し、以後ここを中心に活動する。1932年(昭和7)食道癌のため入院し、翌年逝去。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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