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ふぉす ヤン・フォス
1936年ドイツに生まれる。1955年から60年までミュンヘンの美術大学で学び60年からパリで画家として独立する。1966年から翌年まで、ハンブルグの美術大学で絵画の講師として勤めた。1963年マインツで初個展を開き、以後パリ、コペンハーゲン、ニューヨーク等、世界各地の都市でほぼ毎年個展を開催している。また1963年のパリ青年ビエンナーレ展、64年パリ市立近代美術館の「日常の神話」展、同じく77年の「日常の神話2」展、68年西ドイツのカッセルで開かれた「ドクメンタ4」などに出品する。また、1972年の東京国立近代美術館「ドイツ現代美術展」に出品の際には来日した。1978年パリ市立近代美術館で回顧展が開かれる。1980年レオポルド・ヘーシュ美術館で個展。殆んど走り書きのようなもつれた線の中に、絵文字風のイメージが浮かび上がる作風で知られ、抽象でも具象でもない、独自の表現を追求している。
カテゴリー:作家
ココシュカとは?【 作家名 】 1886年ニーダーエスタライヒ州のペヒラルンに生まれる。1905年、ウィーンの工芸学校に奨学生として入学。1907年からウィーン工房で働くようになり、1908年、自作の詩にクリムトへの献辞と8枚のリトグラフをつけた絵本『夢みる少年たち』をウィーン工房より出版する。同年と1909年の「クンストシャウ」に出品する一方、ポスター・デザインなども行っている。また1908年には戯曲『殺人者、女たちの希望』を執筆しており、グラフィックと文学を統合した、ウィーンでは独自の表現主義的な活動を始める。この頃、A.ロースと親交を結び、ロースの勧めで肖像画を多く描くようになる。1910年には、ベルリンで創刊されたばかりの『デア・シュトゥルム』の「今週の顔」欄の人物画を担当する。第一次世界大戦で重傷を負いその後1919−24年までドレスデンのアカデミーで教鞭をとる。ナチス政府主催の「退廃芸術展」(1938年)に自分の作品が出品されるとイギリスへ亡命、その後も世界各地を巡り精力的に制作活動をする。1953年にはザルツブルグに「視るための学校」を開設し、以後10年間そこで教える。1980年スイス、モントルーで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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