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ふぉろん ジャン=ミシェル・フォロン
1934年ベルギーに生まれる。2005年没する。ラ・カンブル専門学校で四年間建築を学ぶが、1955年から画業に専念する。1960年『ホライズン』『エスクワイヤ』『ザ・ニューヨーカー』の各雑誌にデッサンが掲載される。1964年最初のデッサン展と、ポスター制作。翌年「芸術の中のユーモア」トリエンナーレ展で大賞を受賞。1967年『タイム』『フォーチュン』等の各誌上にデッサンが掲載される。1971年パリ装飾美術館で大個展、1973年第12回サンパウロ・ビエンナーレ展にベルギー代表で参加、大賞を受賞。水彩画、版画、ポスター、壁画と幅広く手掛ける他、映画や舞台装飾も制作し、自らも映画に出演している。また、アポリネールやプレヴェールの詩集など、文学作品のための挿絵も数多く手掛けている。現代社会の都市や人間の姿を、独特のユーモアとペーソスの漂う空間に暖かく描いている。
カテゴリー:作家
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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