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へっぷわーす バーバラ・ヘップワース
1903年イギリスに生まれる。1975年没する。リーズ・アート・スクールを経て、ヘンリー・ムーアらとともにロンドンのロイヤル・アカデミーに学んだ後、イタリアに滞在してアルディーニの影響をうける。1931年画家ベン・ニコルソンと出会い、翌年結婚する。広くヨーロッパの前衛作家と交流し、1932年カンディンスキー、モンドリアンらとともに厳密な非具象を追求する美術団体「抽象・創造」の結成に参加、33年夫のニコルソン、ヘンリー・ムーア、批評家ハーバート・リードらとユニット・ワンを結成する。1939年セント・アイヴスにアトリエを移して以来、自然と人間の関係に啓示をうけ、宇宙感に満ちた独自の人間的な造型を進め、1959年サンパウロ・ビエンナーレ展で大賞を受賞する。ヘンリー・ムーアとならんでイギリスの現代彫刻を代表する作家と目され、セント・アイヴスにヘップワース美術館が設立される。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
パスキンとは?【 作家名 】 1885年ブルガリアに生まれる。1930年没する。本名はユリウス・ピンカス。父はユダヤ系スペイン人、母はイタリア人。ウィーンで絵を学んだ後、1904年、ミュンヘンの諷刺雑誌『ジンプリツィスムス』の専属契約画家となり、この時から本名のピンカスではなくパスキンと名乗る。1905年パリに行き、エコール・ド・パリの仲間入りをする。1914年から20年まではアメリカで暮らし、この時にアメリカ国籍を得る。その後ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、キューバ、アルジェリア、イタリア、スペイン等、各地を放浪した。1930年、パリのジョルジュ・プティ画廊での個展前夜に自殺。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロチックな憂愁を帯びている。退廃的なその作品には、新しい発見や革新性は見当らないが、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されている。 |
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