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こーくす ウッレ・コークス
1941年スウェーデンに生まれる。1960−62年ゲーレシュボルグ校、1960−68年王立美術アカデミーで学ぶ。1977−81年ヌンスク会長。1987年より王立美術アカデミーの学長を務める。スウェーデン現代美術の中心的な存在。北欧美術の伝統である表現主義を背景にして、彩度の高い色彩と激しい筆触で、民俗的なモティーフを暗示する組み作品による巨大な絵画空間を創出する。近代以降の諸様式を参照しながら自在に制作する態度は、ポスト・モダニズムの文脈に通じるものがある。(「自然と人間の対話 スウェーデン現代美術展」図録 1991年)
カテゴリー:作家
紫派とは?【 美術用語 】 黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向とその画家たちを指す。ラファエル・コランに学んで1893年帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派と呼ばれる褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ。 |
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