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安全灯油「サクソレーヌ」



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無題



Untitled(BLACK MAN)



UNTITLED 2



アンダーソン



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アンテス



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あるばーす

ジョセフ・アルバース

1888年、ドイツに生まれる。1913年から15年までベルリンの美術アカデミーで学び、美術教師の資格を取る。1916年から19年までは小学校の教師をしながら美術工芸学校に学ぶ。1919年から20年にかけてミュンヘンの美術アカデミークレーカンディンスキーらの教えを受ける。1920年にヴァイマルのバウハウスに入り、22年まで学び、23年からはステンドグラス工房と基礎課程で指導にあたる。基礎課程ではモホリ=ナギと共に親方をつとめる。デッサウに移り、1928年からは家具工房の親方も勤めた。1933年には、ナチスから逃れて早々とアメリカへ亡命しノース・キャロライナ州、ブラック・マウンテン大学の教授となる。1933年から46年にはパリのアブストラクシオン=クレアシオンに参加、またアメリカ抽象芸術家協会にも参加する。戦後の1950年 にはイェール大学に移る。またハーバード大学やシンシナティ芸術アカデミーなどで幅広く指導を行う。そのほかにもメキシコ、キューバ、チリ、ペルー、ハワイ、日本など世界各地の大学で講演を行う。展覧会も各地で開催された。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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ロラーとは?【 作家名 】

ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。

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