ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


アラベーラ・ボルトンの肖像



あらゆる試練に耐えて



アララットの船あるいは空の蜜



有元利夫



有山白崖



ある音楽家のための楽譜(徳島会場不出品)



ある種の関係



アルジェのユダヤ人(タンジールのユダヤ人花嫁)



アルジャントゥイユからサノワへの道



ある彫刻家の顔



アルテンシュタイン



アルテンベルク



アルデイア通り



アルトゥール・レスラーの肖像



〈アルトーは兵士たちの前で語る〉



アルハンブラ−ヌイイの祭り



〈ある場面の再現〉



アルバース



Alphabet Skin



アルプ


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 作家(1701)

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ぐろっす

ゲオルゲ・グロッス

1893年、ドイツ、ベルリンに生まれる。1909年からドレスデンの美術アカデミー、続いてベルリンの美術アカデミーに学ぶ。1914年、第一次世界大戦が起こり、従軍する。ドイツ表現主義の影響を受ける。また、帝政を批判する風刺画を描く。第一次世界大戦後の1919年、ベルリン・ダダに参加。その中心人物として「ノイエ・ユーゲント」誌を買い取って「ダダ」誌を創刊。左翼的発言や行動を繰り返す。1920年代に入るとノイエ・ザッハリヒカイトに近づき、体験に基づいてドイツの世俗の生々しい現実を暴き立てるような作品を制作する。ナチス台頭以前のこの時期においても彼の作品は、公序良俗を乱すものとして告発を受け、罰金が課せられた。ナチスが勢力を伸ばしていた1932年、ニューヨーク・アート・スチューデンツ・リーグの招きに応じてアメリカに渡る。一時帰国の後、1933年妻エヴァとともにアメリカへ亡命。市民権も得た。第二次世界大戦中も、彼はその反ファシズムの立場を崩さなかった。戦後になっても、50年代になるまでドイツに戻らず、アメリカに留まった。アメリカでは、彼の本領である風刺画家としてよりは、画家としての名声を得た。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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グルーズとは?【 作家名 】

ロココ絵画の絶頂期にあって、市民の道徳観、倫理観を反映した教訓画を描いた画家。グランドンのアトリエで学んだ。その後、師とともにパリに出てアカデミーの美術学校に入学した。1755年サロンに出品して一躍有名になる。その教訓的、感傷的な作風は広く一般に親しまれた。特にロココ的な感覚をひそめた少女たちの肖像画は愛らしく、その半身像や顔を数多く描いて名声を得た。晩年、革命以後は財産、名声ともに失い、不遇の中で世を去った。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)

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  ローラン・カール

  牛乳売りの少女[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]

  ジャン=バティスト・グルーズ

  こわれた甕[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]

  母親の叱責[エティエンヌ・オブリーの原画による]

  ジャック=フィルマン・ボーヴァルレ

  村の花嫁[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]

  盲目の夫[ジャン=バティスト・グルーズの原画による]

  ゆあみするシュザンヌ[ジャン=バティスト・サンテールの原画による]

  若い婦人の肖像


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徳島県立近代美術館2006