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ぶろいやー マルセル・ブロイヤー
1902年、ハンガリーに生まれる。1920年から24年にかけてヴァイマルのバウハウスに学ぶ。1925年から28年にかけてデッサウのバウハウスで家具工房の親方として働く。1925年には、最初のスチール・パイプの椅子を作る。また1927年には、ベルリンのピスカトール邸を設計する。グロピウスが校長を辞任した1928年にバウハウスを辞し、ベルリンで設計の仕事をする。一方でスペイン、スイス、モロッコ、ハンガリー、ギリシャなどを旅する。ナチスから逃れて1935年にイギリスへ亡命、37年にはハーバード大学より招かれ、アメリカに亡命し、46年まで在籍。1938年から41年にかけて、グロピウスと共に事務所を開く。戦後、1946年にはニューヨークに事務所を開き、56年にはマルセル・ブロイヤー・アソシエーツを設立、またパリにも事務所を開く。ホイットニー美術館、パリのユネスコ本部など数多くの設計を手掛ける。1972年から75年にかけて回顧展が開かれ、メトロポリタン美術館を中心に巡回する。1938年から41年のグロピウスとの協力は、ヨーロッパのモダン・デザインをアメリカに広く伝えた。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)
カテゴリー:作家
シャガールとは?【 作家名 】 1887年ロシアに生まれる。1985年没する。ユダヤ人であるが後にフランス国籍を得る。バクストの美術学校で学んだのち、1910年パリに出る。この頃から故郷の風物を好んでとり入れる。1914年ロシアに戻り、革命後は一時期美術行政にも関わるが、22年に再びパリへ戻る。1933年にバーゼル美術館、46年にはニューヨーク近代美術館、47年にはパリ国立近代美術館で回顧展が開かれた。第2次世界大戦中は渡米するが、1947年にはフランスに戻る。1950年にはチューリッヒ美術館、63年には東京と京都で、また67年には生誕60年を記念してチューリッヒとケルンで、それぞれ回顧展が開かれた。あざやかな青や赤や黄色を用いて描かれた、花々や動物、抱擁する恋人達は、重力をこえて空を飛んでいる。スペイン内乱やユダヤ人虐殺、2つの大戦を経た彼は、永遠の愛の神話を生み出そうとしたのであろうか。油彩の他、挿絵や版画、ステンドグラスなども手がけており、今世紀を代表する画家の1人として評価されている。ニースにシャガール美術館がある。 |
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