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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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 作家(1701)

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もほり なぎ

ラースロー・モホリ=ナギ

1895年、ハンガリーに生まれる。1913年から14年にかけてブタペスト大学で法律を学ぶ。1914年から17年にかけて従軍し、大学卒業後の1918年、ハンガリーの前衛美術グループ「MA」に参加し、画家を目指す。1920年よりベルリンに住み、ダダイストたちと交流する。1922年にはレンズを用いず印画紙に直接焼き付けるフォトグラムの実験を始める。1923年にヴァイマルのバウハウスに招かれ、金属工房と基礎課程の親方となる。1924年、グロピウスとの共同編集で「バウハウス叢書」の刊行を始める。また、フォトモンタージュなど写真の実験も続けて行う。1928年にバウハウスを辞してベルリンに移り、舞台デザイナーとして働いた後、34年にアムステルダム、35年にロンドンへと亡命する。1937年、シカゴの芸術・工業協会から新しいデザイン学校設立の要請を受け、アメリカに亡命する。同年10月「ニュー・バウハウス アメリカ・デザイン学校」が設立されるが、わずか一年で閉鎖。1939年に自力でシカゴ・デザイン学校を開木、44年デザイン研究所と改称された。この学校は彼の没後、49年にイリノイ工科大学に吸収された。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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ゴッホとは?【 作家名 】

オランダに生まれ、画商、教師、牧師と職を変えながら27歳で画家を志す。貧しい農民などを描く暗かった作品は、パリに渡り印象派や日本の浮世絵に出会うことで、明るい色彩を得た。芸術家との共同生活を願い南仏のアルルに移住するが、友人、恋人などすべてに満たされず、次第に色と筆触が激しさを増して行った。ゴーギャンとの短い共同生活も、自らの耳を切り落とすという事件で幕を閉じた。次第に狂気を帯びたゴッホは、精神の病に犯され、ついにピストル自殺を遂げる。

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