ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


アラベーラ・ボルトンの肖像



あらゆる試練に耐えて



アララットの船あるいは空の蜜



有元利夫



有山白崖



ある音楽家のための楽譜(徳島会場不出品)



ある種の関係



アルジェのユダヤ人(タンジールのユダヤ人花嫁)



アルジャントゥイユからサノワへの道



ある彫刻家の顔



アルテンシュタイン



アルテンベルク



アルデイア通り



アルトゥール・レスラーの肖像



〈アルトーは兵士たちの前で語る〉



アルハンブラ−ヌイイの祭り



〈ある場面の再現〉



アルバース



Alphabet Skin



アルプ


<前 (6/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


もんどりあん

ピエト・モンドリアン

1872年、オランダに生まれる。幼い時から、アマチュア画家であった父や叔父の手ほどきで、絵を描き始める。1889年、小学校美術教師の資格を得て、教鞭をとる。1892年、中学校美術教師の資格も得るが、画家を志し、アムステルダムの国立美術学校に入学し、97年まで在学する。主に風景を描き、卒業後もセザンヌゴッホの影響下で制作を続ける。1911年、キュビスムに刺激を受け、14年までパリに滞在する。第一次世界大戦中の1914年から18年にかけて、オランダに戻り、14年には水平線と垂直線を交差させて構成されたプラス・マイナスと呼ばれる作風を生む。1919年にパリに戻り、20年「新造形主義」を出版し、水平線と垂直線、および三原色によって構成された作品を制作し始める。第二次世界大戦前夜の1938年にロンドンに渡り、40年にはアメリカに亡命する。ロンドンで手がけられた作品の大部分はアメリカまで運ばれ、そこで完成された。アメリカではハンス・リヒターアレクサンダー・コールダーらと親しく交流市、ブルトン、エルンストら亡命中のシュルレアリストたちとも親交をもった。アメリカで最も成果を上げた芸術家の一人。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ベルガーとは?【 作家名 】

1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ベルガー

キーワードを含む記事
20件見つかりました。

  フェルディナント・アンドリ

  ゴットリープ・テオドール・ケンプ=ハルテンカンプ

  メーラ・ケーラー

  第1回ウィーン分離派展ポスター

  第13回ウィーン分離派展ポスター

  第14回ウィーン分離派展ポスター

  第15回ウィーン分離派展ポスター

  第2回ウィーン分離派展ポスター

  第5回ウィーン分離派展ポスター

  第6回ウィーン分離派展ポスター

  第7回ウィーン分離派展ポスター

  第8回ウィーン分離派展ポスター

  第9回ウィーン分離派展ポスター

  テオドール(テオ)・ツァッシェ

  「ディ・クヴェレ」第5巻/(自然界の諸形態)

  アルトゥール・ベルガー

  パウル・レス

  マキシミリアン・レンツ

  「1908年カレンダー」

  「1909年、ウィーン市舞踏会」


<前   次>

徳島県立近代美術館2006