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りすもんど リスモンド
1908年、ベルギーのブリュッセルに生まれる。1909年、モールテベークのニノヴェに移り、14年頃から絵を描き始める。1919年ブリュッセル・アテネ・ロイアルに入学。1924年にはブリュッセルの美術アカデミーに学ぶ。1930年アンダーレヒトの美術サークルに参加、同年ブリュッセルのボザールギャラリーで初個展を開いた。1931年デッサンの教師の資格を取得した。1945年「若ベルギー絵画」展に参加、52年アムステルダムで海外初の個展を開催。1954年ローマのカルコグラフィ・ナシォナレでリトグラフを学ぶ。1957年レジォ・エミリアの金メダルを受ける。1958年ヴェネチア・ビエンナーレでレナート・カレン賞受賞、翌59年サンパウロ・ビエンナーレで最優秀海外デッサン賞受賞、64年にはカッセル・ドクメンタ3に参加する。1974年地下鉄ペティヨン駅の壁面の装飾を手掛ける。1975年ベルギー王立アカデミーの通信会員となり、77年ベルギー王立美術館で回顧展。ファン・アントウェルペンにより35ミリのカラーフィルム作品「リスモンド」が制作される。1982年ベルギー王立アカデミーの会員になる。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作家
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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