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るーらん フェリックス・ルーラン
1931年ディナンに生まれる。1945年、マルツ美術学校に学ぶ。1953年マルツ美術学校の教授となる。1961年「若きベルギー彫刻」賞を受賞。また、パリ・ビエンナーレでロダン美術館賞を受賞。1962年カンブルの教授になる。ヴェネチア・ビエンナーレに参加。1963年コーペル賞と第2回オリベッティ賞を受賞。1965年パリ、ギャラリー・アンダーソンマイアで個展。1966年ナミュール文化会館のモニュメントを制作する。1967年ロンクィエール坂にモニュメントを制作。サンパウロ・ビエンナーレに参加。1968年ブリュッセルのRTBの建物にモニュメントを制作。1971年ナミュールのRTBの建物にモニュメントを制作。同年パリ装飾美術館「オブジェの変貌」展に出品。1975年グラン・オルヌの前にモニュメントを制作。1976年地下鉄ティフェリー駅の装飾を手掛ける。1977年サンパウロ・ビエンナーレに参加。1980年リエージュ、サン・ジョルジュ美術館で個展。1981年サール・ティルモン大学賞を受賞。1985、86年のフィアックにギャラリープロメテから出品。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作家
狩野養信とは?【 作家名 】 1796年木挽町狩野家八代狩野伊川院栄信の長男として生まれる。1846年没する。名は、養信(はじめ「たけのぶ」、のちに「おさのぶ」)。通称庄三郎。最初は玉川としていたが、のちに清川院、会心斎とも号した。文政2年(1819)法眼。文政11年(1828)家督を継承。天保4年(1833)法印となった。天保10年(1839)、弘化2年(1845)にそれぞれ完成した、江戸城西の丸御殿、本丸御殿の再建に際する障壁画制作の中心となった。また、模写事業をすすめ、室町漢画や中国絵画、初期狩野派など多くの模写を残した。そのなかには、大和絵や沈南蘋など狩野派の伝統とは異なった模写も残されている。養信は、明治の東京画壇で活躍した狩野芳崖、橋本雅邦の師としても知られている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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