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いちはら ありのり 一原有徳
1910年徳島県に生まれる。3歳の時、父の伯父が開拓者として移り住んでいた北海道に父母とともに移住。小樽高等実修商科学校に学んだ後、小樽地方貯金局に入局し、第2次世界大戦中の応召時をはさみ、1970年まで同局に勤務しながら制作活動を続ける。1952年油彩画を小樽市展に出品し北海道新聞社賞受賞。1954年から全道美術協会展に出品し、61年会員に推挙される。1958年の全道展、国画会展にモノタイプ版画を出品。1960年の日本版画協会展出品作が評価され神奈川県立近代美術館などに作品が収蔵される。同年朝日選抜秀作展、海外を巡回した現代日本版画展、1962年、64年の東京国際版画ビエンナーレ展に出品するなど数多くの展覧会に出品し活躍。1回切りの転写によるモノタイプ版画や、金属を様々な道具・薬品で加工する凹版の実験により、荒々しいマチエールや金属版の無機質な美しさを持つ力強い作品を生み出している。
カテゴリー:作家
印象主義とは?【 美術用語 】 19世紀後半のフランスに起きた最も重要な絵画運動で、その影響は欧米をはじめ日本にまで及ぶ。1874年春にモネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノワール、セザンヌ等を中心とする画家が官展のサロンに対抗して団体展を開いた際、新聞記者ルロワがモネの「印象−日の出」をもじって彼らを印象派と呼んだ。印象派という名称はこのことに由来し印象主義という用語もそこから派生した。印象主義は写実主義を受継いで特に外光派の戸外制作を重んじ、かつマネに啓発されて明るい色彩を用いて外界の事物を光をあび、空気で包まれた印象として表現した。光の変化に応ずる色調の変化や空気のゆれ動きを効果的に描くために、固有色を否定し、筆触を小さく分割し、色調を原色に還元したことが技法上の特徴とされる。印象主義は必ずしも体系化された理論をともなわず、組織的にはゆるやかな結びつきにとどまったため、1880年代以降各画家の個性の進展と円熟にしたがい、またスーラやゴーガンなど新世代の登場ともあいまって多様化の様相を深めた。 |
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