![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ぱなまれんこ パナマレンコ
1940年アントワープに生まれる。1963年アントワープCAWで個展開催、66年アントワープ、ワイド・ホワイト・スペース・ギャラリーで個展。この頃ハプニングを何度か行う。1967年ハーグ国際ギャラリーで個展、68年デュッセルドルフ国立芸術アカデミーで個展、エイントホーフェン「スリー・ブラインド・マイス」展、デュッセルドルフ「プロスペクト68」展などに出品、69年ニューヨーク、ドイツ各地で個展開催。また、アムステルダム「自由推進機」展、南ネーデルランド・トリエンナーレなどに出品する。1970年アントワープ、エイントホーフェンなどで個展、東京国際ビエンナーレなどに出品、71年アントワープで個展、ブリュージュ彫刻トリエンナーレ、ベルリン「クンストマーケット」展に出品、72年リュツェルン美術館などで個展、カッセル・ドクメンタ5に出品する。1973年デュッセルドルフ、シュトゥットゥガルトなどで個展、74年リエージュ・ギャラリー・ヴェガでデッサンの個展、75年JP1アートインターナショナル、76年ヴェネチア・ビエンナーレ、77年カッセル・ドクメンタ6に出品、83年サンパウロ・ビエンナーレに出品。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作家
平福百穂とは?【 作家名 】 1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||