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ふぁん かーきんべるふ パトリック・ファン・カーキンベルフ
1960年アルストに生まれる。同地の美術アカデミーに学ぶ。1980年から84年ゲントのアカデミーに学ぶ。彼の創作の拠点「リビング・ボックス」を作る。1984年から85年にかけてオランダ、エイントホーフェン大学で建築史を学ぶ。1985年ゲント「コピーライト」で初個展。1987年アントワープ、ゼノウXギャラリーで作品を発表するようになる。1990年フランスで最初の個展を現代美術センターで、ヴェネチア・ビエンナーレに参加。1991年から92年、アントワープ現代美術館「今日のフランドル美術」に出品。1993年「1980年以降のベルギー美術」展に出品。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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