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きーふぁー アンゼルム・キーファー
1945年ドイツに生まれる。フライブルク大学で法律を学んだ後、1966年、カールスルーエのホルスト・アンテスの下で美術を学び、水彩画や写真作品を制作した。このころ同地のギャラリーで初個展を開催する。1970年、ヨーゼフ・ボイスの下に学び、大いにその影響を受ける。後にボイス自身もキーファーの出現を心から祝福するとともに、その重要な役割を認める発言を残している。1973年にはケルンにおいて、伝統的な油彩によるドイツの精神を主題にした作品を発表する。1977年、カッセルの「ドクメンタ6」、パリ近代美術館で第10回パリ・ビエンナーレ展に出品する。1979年、アイントホーフェンのファン・アッベ美術館にて個展、80年第39回ヴェネツィア・ビエンナーレ展の西ドイツ・パビリオンにて個展開催。その後も、数多くの国際展に出品を続けるとともに、1987年、シカゴのアート・インスティテュートや、91年故国ドイツのベルリン、新ナショナル・ギャラリーにて個展を開催するなど、めざましい活躍が認められる。92年には日本においても大規模な個展が開催された。
カテゴリー:作家
青騎士とは?【 美術用語 】 1911年ドイツで革新的な目的を持つ芸術家たちがつくった緩やかな組織のグループにつけられた名称。グループの起こりは、1911年、カンディンスキーが、「新芸術家協会」の第3回展に出品を拒否されたことから、フランツ・マルクらと、ミュンヘンのタンホイザー画廊で対抗展を組織し、参加したグループを彼の小作品「青い騎士」にちなんで「青騎士(ブラウエ・ライター)」と命名した。参加者にはマッケ、クレーなどがいた。第2回展は1912年にミュンヘンで、版画を中心に開かれたがこれにはブリュッケのメンバーも参加し、また国際美術展の先駆ともいうべき性格のものであった。1914年の第一次大戦の勃発による解散した。グループには統合するような様式、教義はみられないが、内面的意欲が多様に形づくる形態の差異を示すことが共通の精神的基盤といえる。また、グループは同名の機関紙を発行したが、ここではヨーロッパの前衛芸術家の作品の他に、民芸品や児童画などの作品も評価し、現代的芸術観の礎石となった。 |
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