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ウィルソン



ウィルソン



ウィルソン



ウィン



ウィークス



ウィーベルト



ウィーン幻想派



ウィーンコウボウ



「ウィーン工房年鑑」



「ウィーン工房の一作家の手帳」



「ウィーン工房の1906年1月24日の舞踏会への招待状」



「ウィーン市、シラー記念刊行物」



「ウィーン市舞踏会」



「ウィーンの風景画」



ウィーン分離派のための蔵書票



「ウィーン分離派の8年間」



Weight without Place No.1



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ウェスレー



ウェッセルマン


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いけだ ようそん

池田遙邨

1895年(明治28年)岡山県に生まれる。1988年没する。本名昇一。遙村、遙、遙山人とも号す。1910年(明治43年)15歳の時単身で大阪に出て、初めは天彩画塾で洋画を学ぶ。1914年(大正3年)第8回文展水彩画が初入選するが、その後日本画に関心をもち、小野竹喬をたよって京都に出て、竹内栖鳳に師事する。1921年(大正10年)、26歳で京都市立絵画専門学校に入学、1928年(昭和3年)と1930年(昭和5年)に帝展特選となる。30〜40歳代に全国を写生してまわり、1953年(昭和28年)には画塾青塔社を設立する。洋画風の写実表現から大和絵風の現代的な表現に移り、戦後は機知に富んだ文人的な独自の画風を完成した。1976年(昭和51年)には日本芸術院会員となり、1987年(昭和62年)に文化勲章を受章している。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


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廣島晃甫とは?【 作家名 】

1889年徳島県徳島市に生まれる。1951年没する。本名は新太郎。香川県立工芸学校(現・香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科を卒業。1916年、長谷川潔、永瀬義郎と日本版画倶楽部を結成。1919年の第1回帝展(帝国美術院展)と翌年の第2回帝展では日本画が連続して特選を受賞し、一躍画壇の注目を集める。その後も、帝展、新文展(文部省美術展)、戦後の日展(日本美術展)に出品し活躍。日独美術展覧会委員、帝展や新文展の審査員なども歴任した。大正期は浪漫的香りある人物表現を行うが、次第に花鳥画に重点を移していった。

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