ぐるぐるアートワード
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野見山暁治



野村耕



野村佐紀子



野村仁



野村誠 グランディ・アート・ギャラリーでのしょうぎ作曲



野村誠 ゴヤの部屋



野村誠 プレ・ワークショップで作曲した曲



野村誠 プレ・ワークショップの記録映像



ノラ



ノルシャ



ノルデ



ノルマンディ、ブルターニュ-西部鉄道



ノン・フィギュラティフ



ノートヘルファー



ノードフェルト



ノーベルトシュトゥック



ハチョンユン



ハトンチョル



灰色の光景



廃船


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もーざー

コロマン(コロ)・モーザー

1868年ウィーンに生まれる。1888−92年、ウィーン造形芸術アカデミーに在学1892−95年、ウィーン工芸学校に在学。1899年より工芸学校で教える。1897年分離派の創設に加わり、1898年より『ヴェル・サクルム』誌のグラフィック・デザイナーとして中心的な役割を果たす。1910年頃から黒白の方形のパターンを多用する。1903年ホフマンとヴェルンドルファーと共にウィーン工房を設立。ホフマンと初期の工房のデザインを指揮した。工房のために、グラフィックだけでなく家具、金属製品、銀器、アクセサリー、テキスタイル、皮革、装丁、文房具、広告、ポスターなどをデザイン。サナトリウム・プルカースドルフをはじめ、ホフマンの設計した建築の内装に参加。1904年ヴァーグナーのシュタインホーフの教会のステンドグラスをデザイン。1905年にはクリムトの一派と共に分離派を脱会する。また1907年にはウィーン工房を去り、それ以降は絵画や舞台装飾の分野で活躍した。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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パスキンとは?【 作家名 】

1885年ブルガリアに生まれる。1930年没する。本名はユリウス・ピンカス。父はユダヤ系スペイン人、母はイタリア人。ウィーンで絵を学んだ後、1904年、ミュンヘンの諷刺雑誌『ジンプリツィスムス』の専属契約画家となり、この時から本名のピンカスではなくパスキンと名乗る。1905年パリに行き、エコール・ド・パリの仲間入りをする。1914年から20年まではアメリカで暮らし、この時にアメリカ国籍を得る。その後ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、キューバ、アルジェリア、イタリア、スペイン等、各地を放浪した。1930年、パリのジョルジュ・プティ画廊での個展前夜に自殺。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロチックな憂愁を帯びている。退廃的なその作品には、新しい発見や革新性は見当らないが、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されている。

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徳島県立近代美術館2006