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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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ぺっひぇ

ダゴベルト・ペッヒェ

1887年ザルツブルグ州サンクト・ミヒャエルに生まれる。1906−08年、ウィーンの工科大学に在学。設計と建築を学び、その後1908−11年、ウィーン造形芸術アカデミーに在学。1911年ローマ賞を受けパリヘ旅行。1912年から陶磁器とカーペットの仕事を始める。「壁紙展」(1913年)、「分離派展」(ウィーン、1913年)、「国際美術展」(ローマ、1914年)、「工作連盟展」(ケルン、1914年)などに参加。1916年からウィーン工房に加わる。1917−18年、工房のチューリヒ支店の責任者、また1917年以降23年まで工房の共同責任者となった。工房の後期においてホフマンと共に最も重要なデザイナー。工房のために、家具、銀や錫などの金属製品、アクセサリー、琺瑯、亀甲、象牙、ガラス、陶磁器、文房具、装丁、皮革、グラフィック、広告、ポストカード、テキスタイル、ファッション、チュール、レース、壁紙、ビーズ、舞台装飾、衣装、額、彫像、玩具、壁面ステンシル装飾、カーテン、クッションなど多岐にわたる分野のデザインを手掛けた。1923年ニーダエスタライヒ州のメートリンクで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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高橋由一とは?【 作家名 】

1828年東京都に生まれる。1862年蕃書調書画学局に入り、川上冬崖の指導をうけ、画学心得となる。1866年横浜でワーグマンの指導を受ける。翌年パリ万国博覧会に洋風画を出品する。1871年大学南校画学掛教官となり、1873年天絵楼を創設する。1876年フォンタネージの指導を受け、翌年第1回内国勧業博覧会出品、三等賞受賞。1879年画塾を拡張、天絵学舎と改める。1881年県令三島通庸の委嘱で山形県下新道の油彩画を描く。1884年天絵学舎を廃校、県令三島通庸の委嘱で栃木、福島、山形の新道を写生する。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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