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でぃう゛ぇきー ヨーゼフ・ディヴェキー
1887年ハンガリーのペスト州ファルモスに生まれる。ウィーン造形芸術アカデミー、1906年からはウィーン工芸学校に在学。R.v.ラリシュ、C.O.チェシュカ、A.レフラーらに師事。ローゼンバウム出版社のグラフィック・デザイナーとして、1910−14年、チューリヒとブリュッセルで活動。1919年スイスのベトリスに移る。1941年にはブダペストの工芸学校に教授として招かれる。蔵書票、装丁、本の挿絵を多く手掛け、『デア・ルーフ』、『ディ・ムスケート』、『フィガロ』、『ドナウラント』などの新聞にも協力した。1913年自作の同版画集『死の舞踏』を出版。工房のためにポストカード、ポストカード入れの装飾、広告、工房の年鑑(1911年)の挿絵、キャバレー・フリーダーマウスのポスター、ワイン・ラベルとラベル見本帖の装丁などをデザインした。1951年ハンガリーのショプロンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年)
カテゴリー:作家
デュフィとは?【 作家名 】 1877年フランスに生まれる。1953年没する。故郷ル・アーヴルの美術学校を経て、兵役をはさみ、パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。はじめは印象主義の影響を受けた作風で、サロンにも出品するが、1905年のアンデパンダン展で見たマティスの作品に影響されて、明るい色彩と軽快な筆使いによる作風へと転じる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた時期もあるが、独特のリズミカルな画面を保ち、フォーヴィスムの一員と見なされる。1937年のパリ万博では、電気館のための壁画を制作、52年のベネチア・ヴィエンナーレでは国際絵画大賞を受けた。 |
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