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アイ・キャンディ



アイアマン



靉嘔



愛するアウグスティン



愛の虹:ニューメキシコの山の牧場



靉光



アウト



アウトサイダー・アート



アウドゥ



アウヒェンターラー



アヴィアド



アヴェド



アヴェドン



青騎士



青白い山椒魚



蒼空のある自画像



青柳



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 作家(1701)

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ここしゅか

オスカー・ココシュカ

1886年ニーダーエスタライヒ州のペヒラルンに生まれる。1905年、ウィーンの工芸学校に奨学生として入学。1907年からウィーン工房で働くようになり、1908年、自作の詩にクリムトへの献辞と8枚のリトグラフをつけた絵本『夢みる少年たち』をウィーン工房より出版する。同年と1909年の「クンストシャウ」に出品する一方、ポスター・デザインなども行っている。また1908年には戯曲『殺人者、女たちの希望』を執筆しており、グラフィックと文学を統合した、ウィーンでは独自の表現主義的な活動を始める。この頃、A.ロースと親交を結び、ロースの勧めで肖像画を多く描くようになる。1910年には、ベルリンで創刊されたばかりの『デア・シュトゥルム』の「今週の顔」欄の人物画を担当する。第一次世界大戦で重傷を負いその後1919−24年までドレスデンのアカデミーで教鞭をとる。ナチス政府主催の「退廃芸術展」(1938年)に自分の作品が出品されるとイギリスへ亡命、その後も世界各地を巡り精力的に制作活動をする。1953年にはザルツブルグに「視るための学校」を開設し、以後10年間そこで教える。1980年スイス、モントルーで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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マックス・クリンガーとは?【 作家名 】

19世紀末の象徴主義的な傾向と、ユーゲントシュティールや分離派の動きも取り入れた独特の具象的な作風で知られる。1899年にはベルリン分離派の結成に参加する。第14回ウィーン分離派展(1902年)では、代表作となるベートーヴェン像を出品して注目を集め、銅版画による「手袋」の連作(1881年)は、後のシュルレアリストたちの関心を引くなど、絵画、彫刻、版画など多岐にわたって存在感を示した。

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