1885年、チェコのモラビア地方ミクロフに生まれる。1901−08年、ウィーン工芸学校に在学。A.
ロラー、F.ミュルバッハ、C.O.
チェシュカ、B.
レフラーに師事。学生時代、動物ア
ルファベットの
木版画集を発表(ユリウス・
ツァイトラー出版社、ライプツィヒ、1909年)。キャバレー・フレーダーマウスのために、プログ
ラムやポスターをデザイン。その結果ローゼンバウム社に採用され、広告印刷物のデザイナーとして関わる。『ヴェル・サクルム』誌、『エルトガイスト』誌、最初のオーストリア
表現主義の雑誌『デア・ルーフ』誌等。ウィーン海外通信紙やコミカル紙のイラストレーターを務める。ミートケ画廊「ディ・ユンゲン展」(1906年)、「クンストシャウ」(1908年)に参加。
ユンクは著述家としても活動しており、A.レッスラーは『労働者新聞』等に彼の戦争日記の抜粋を掲載。
ウィーン工房のためのポストカードや他の印刷物をデザインし、
ウィーン工房年鑑にイラストを掲載。ロープ
マイヤー社のためにガラスや彫刻のデザインを、ローゼンバウム社のために美術印刷物を制作。1915年カルパチアで歿。(「
ホフマンと
ウィーン工房展」図録 1996年)