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う゛ぃんまー う゛ぃすぐりる エドゥアルト・ヨーゼフ・ヴィンマー=ヴィスグリル
1892年ウィーンに生まれる。1901年にウィーン工芸学校に入学、A.ロラー、J.ホフマン、K.モーザーに師事。1907年よりウィーン工房の一員となり、1910−22年間モード部門の主任を務める。ウィーン工房においては、テキスタイル、金属細工、アクセサリー、ポストカード、皮革、装丁、キャバレー・フレーダーマウスの舞台衣装とステージセットなど、様々な分野で活躍している。また、1912−13年、1918−21年、1925−53年には、ウィーン工芸学校とアルザーグルントの国民学校で教鞭を執り、1923−25年にはシカゴのアート・インスティテュートでも教えている。「クンストシャウ」(1908、1909、1927年)、「国際美術展」(ローマ1911年)、オーストリア芸術産業美術館の「冬期展」「春期展」(1911−12年)「工作連盟展」(ケルン、1914、1930年)パリ万国博覧会オーストリア館の内装(1937年)などに出品。ドイツ工作連盟、オーストリア工作連盟、ハーゲンドイツ美術館連盟の会員。1961年、ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年)
カテゴリー:作家
文展とは?【 美術用語 】 文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。 |
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