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まっきんとっしゅ チャールズ・レニー・マッキントッシュ
1868年イギリスのグラスゴーに生まれる。アラングレン・ハイスクールを卒業。1884年ジョン・ハッチスンの事務所に入ると同時にグラスゴー美術大学夜間部に入学。在学中より、ハーバード・マックネア、マーガレットおよびフランシス・マクドナルド姉妹とともに活動、〈ザ・フォー〉と呼ばれる。(1898年解散)1896−1911年、キャサリン・クランストン所有のアーガイル・ストリートのティールーム(1897年)に代表される、一連のティールームのデザインを手掛ける。1900年ウィーンにおける第8回分離派展にその年結婚したマーガレット・マクドナルドとともに招待され出品。1896年グラスゴー美術大学、1901年ヴェルンドルファーのミュージック・サロン、1902年ヒル・ハウス等設計。1923年以降は南フランスのポール・ヴァンドレに移住し主に水彩画に取り組む。1927年舌ガンに冒され帰国。1928年ロンドンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年)
カテゴリー:作家
塩川文麟とは?【 作家名 】 1808年京都に生まれる。1877年没する。生年には異説がある。父は、安井蓮華光院門跡の侍者。字は子温。幼名は隼人。通称図書。はじめ草章と号し、可竹斎などの別号がある。門跡に画技を認められ、岡本豊彦に師事して四条派を学ぶ。弘化2年(1845)に豊彦が没してからは、四条派を率い、明治初期までの京都画壇を代表する画家のひとりとなった。安政年間の御所再建に際して、常御殿などの絵画制作に携わった。明治元年(1868)、中島来章、円山応立、国井応文らと如雲社を結成して、京都の画家たちの結束を深めた。明治9年(1876)フィラデルフィア万国博覧会に出品。門人には、幸野楳嶺がいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年、一部加筆有) |
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