![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
つぇいまー フリッツ(フリートリヒ)・ツェイマー
1886年ウィーンに生まれる。1902−08年工芸学校に在学。A.ロラー、C.O.チェシュカ、J.ホフマン、F.メッツナーに師事。ウィーン工房のためにポストカード、プログラム、その他印刷物、キャバレー・フレーダーマウスのステージセットのデザインを提供。「ディ・ユンゲン(青年)展」(ミートケ画廊、1906年)、「国際建築展」(1908年)、「簡素な家具展」(芸術産業美術館、1902年)、「ドイツ芸術展」(デュッセルドルフ、1928年)に参加。オーストリア工作連盟、キュンストラーハウス、分離派の会員。1940年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年)
カテゴリー:作家
ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||