ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


<前 (74/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


べーむ

アドルフ・ベーム

1861年に生まれる。1927年没する。画家の息子。1876年にウィーンの美術アカデミーに入学、グリーペンケール、ヴュルツィンガー、エイゼンメンガーに師事した。1897年の分離派の創始以来、1905年にクリムトのサークルと共に離脱するまで、そのメンバーであった。1898−1902年までの分離派の展覧会に参加し、その第8回と第15回の展覧会のポスターを制作した。1900年以降、いくつかの美術学校で教授をつとめたが、教育者としてのベームは、あらゆる装飾美術(陶器、ガラス、家具)の作家としてのベームと同様に定評があった。注目すべきその作品には、分離派館のためのスタッコのレリーフ、1899年にオットー・ヴァーグナーのヴィラのために制作されたガラス・モザイクの壁、そして『ヴェル・サクルム』に掲載された版画の挿絵などがある。1908年にはクンストシャウの第29展示室(「子供のための美術」)を装飾、1909年以降はクロスターノイブルクで装飾家、画家およびグラフィック美術家として活躍した。ゼゼッションのメンバーの中でもベームは絵画において主題に背を向けた初めての作家だった。「セガンティーニの影響を受けているスーラの点描画法でさえもA.ベームにおいては色彩の夢幻的な魔術と化す」(W.ホフマン)。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ドガとは?【 作家名 】

1834年パリに生まれる。エコール・デ・ボザールで古典的な絵画を学び、初期は伝統的な主題の作品を描くが、70年代から印象派展に参加、また競馬、踊り子、浴女などの日常的な題材を多く描くようになる。動きを瞬間的にとらえる卓越したデッサン力と、独創的な構図を特徴とする。パステルや版画にも力を発揮し、彫刻にも見るものが多い。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ドガ

キーワードを含む記事
18件見つかりました。

  印象主義

  海の惨劇(メールシュトレームに呑まれて)−『ヴォルピーニ連作』より

  シュザンヌ・ヴァラドン

  エレン・アンドレ嬢

  大鴉

  メアリ・カサット

  子供の世話

  収穫する二人の女

  扇面画(男)

  扇面画(日本の面)

  エドガー・ドガ

  版画集『大鴉』『大鴉』表紙

  版画集『大鴉』胸像の上の大鴉−「パラスの像へと降り立った……」

  版画集『大鴉』飛翔する大鴉:書票

  版画集『大鴉』窓辺にて−「ここに私は鎧戸を開け放った……」

  版画集『大鴉』椅子−「床の上に漂いつつ横たわるその影……」

  版画集『大鴉』ランプの下で−「嘗て物寂しい真夜中に……」

  モノタイプ


<前   次>

徳島県立近代美術館2006