![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
くろーぐ ペール・クローグ
幼い頃よりモンパルナスに馴染み成長したクローグだが、故国には毎年のように戻り個展や公募展に出品するなど、フランスとノルウェー両国で活躍をした画家である。アカデミー・コラロッシでの教えに不満を抱くようになったクローグはマティスのもとに移った。ここで学んだのは1年という短い期間であったが、フォースムの洗礼を受け、父から学んだアカデミムスの作風を脱していった。この頃よりサロン・デ・ザンデパンダンへの出品を始めている。彼はその後も続いて起こる前衛的運動を常に敏感に取り入れ、作風を変転させていったが1920年代に入るとその画風は写実的なものに落ち着き、自己のスタイルを確立した。本展出品作は、当時の愛人テレーズ・トレーズをモデルにしたものである。彼は妻の愛人であったパスキンの死(1930年)をきっかけに妻と離婚し、テレーズとも別れ、ノルウェーに帰住している。オスロでは美術界の指導にあたり、また舞台美術や壁画制作なども多く手掛けた。桧和田美嘉(前・呉市立美術館学芸員)(「パスキンとエコール・ド・パリ−1920年代 哀愁のパリ−」図録 1996年)
カテゴリー:作家
ジャスパー・ジョーンズとは?【 作家名 】 1930年アメリカに生まれる。サウスカロライナ州立大学で学んだ後、1949年には兵役で仙台に半年いたこともある。1952年にニューヨークに出た後、54年にラウシェンバーグと出会う。同年、星条旗を描き始め、翌年には標的の、そして数字の作品も描き始める。1958年にレオ・キャステリ画廊で初個展を開き、59年にはデュシャンと出会う。1960年代には缶やほうきなどを画面にはりつけた作品を制作。1970年代には、敷石のイメージや網目模様の作品も描くようになる。1964年にはロンドンのホワイトチャペル画廊で、77年にはホイットニー美術館で回顧展。1986年にはニューヨーク近代美術館で版画の回顧展が行われた。彼の描く星条旗は、旗の絵ではなく旗そのものではないだろうか、という問いは、芸術作品の意味作用そのものに対する問いでもある。抽象表現主義とポップ・アートをつなぐネオ・ダダの重要な1人として、その評価は高い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||