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こりんと ロヴィス・コリント
1858年ドイツ北部のタピアウに生まれ、ミュンヘン、ベルリンで活躍する。初期はドイツにおける自然主義の伝統に立ちながら、フランス印象派の手法を取り入れた作風で知られる。1911年に病によって右手の自由を失うが、再起後は、力強い筆勢を持つ表現主義的な傾向を見せた。また、銅版画、リトグラフ(石版画)にも見るものが多い。
カテゴリー:作家
勝田蕉琴とは?【 作家名 】 1879年福島県に生まれる。本名良雄。はじめ会津若松の南画家野出蕉雨に学んだのち、1899年(明治32)上京、橋本雅邦に師事する。1902年に東京美術学校日本画選科に入学、1905年の卒業後、岡倉天心の推薦を受けて、タゴールの賓客としてインドに渡る。カルカッタ西北のシャンティニケトン学園で東洋画を教える一方、仏画の制作と仏教美術の研究をおこなった。1907年に帰国し、同年の第1回文展に初入選する。その後、国画玉成会にも参加する。1913年(大正2)の第7回文展で3等賞受賞、以後、官展を主な活躍の場とした。また1963年(昭和38)以降は、革新美術協会に出品した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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