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かぴえっろ レオネット・カピエッロ
画家、デザイナー、装飾美術家、イラストレーター、ポスター作家。イタリアのリヴォルノ生まれ。リヴォルノやスカナで活躍していた画家の大半と面識があったが、どのアトリエにも美術学校にも属していない。彼の最初の肖像画は1886年の日付になっている。92年に初めてフィレンツェの市立美術館に出品。96年には初めての漫画の画集『魔法のランタン』を刊行。98年、パリにいる兄弟を訪ね、定住。1900年にヴェルカッソン印刷所に就職、第一次大戦中はイタリアで通訳をし、19年にヴェルカッソンを辞めて最終的にドヴァンベ社に入った。20年代初頭、イタリアトスペインから多くの注文が来て、多種のクライアントのために数百のポスターを描いた。カピエッロはジュール・シェレ以来、ぽすたのポスター芸術に革命を起こした第一人者である。41年に南フランスのグラースに隠遁、翌年カンヌで没した。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ドクメンタとは?【 美術用語 】 1955年以来、西ドイツのカッセル市で、原則として4年ごとに催されてきた進歩的傾向の国際美術展の名前。第1回展は、カッセル・アカデミーのボーデ教授の提唱で、第二次大戦終了までナチスによって進歩的・前衛的芸術が「退廃」の烙印を押されて国際舞台から著しく立ち遅れてしまっていたドイツの芸術に、再び新しい息吹きを取り戻す目的で組織された。以降、ドイツの国民に世界の現代美術の動向を紹介するのを根本とし、多くの国際美術展のような授賞制度を持たずに、毎回テーマを決め、それに基いて委員会が美術家の人選を行うという方法を採っている。第2回展にはアメリカ部門が設けられ、ニューヨーク派の成果が紹介され、第4回展では、出品作家の3分の1がアメリカ人でその作品の多くが巨大なサイズのものという、アメリカの色面抽象絵画、ポップ・アート、ミニマル・アートが支配的なもので、ドクメンタの歴史にひとつの頂点を画したものであった。画商界の動向への追随など批判も多いが、現行の国際美術展では最も規模の大きいものである。 |
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