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べるとん ポール・ベルトン
1872年ヴィルフランシェに生まれる。1909年没する。絵画、彫刻、デザインを学び、21歳でパリのエコール・ゲランに入学。リュック・オリヴィエ・メルソンのアトリエでウジェーヌ・グラッセに学ぶ。1895年に初めてサロンに出品。2年後、ヴィルロワ・エ・ポシュ社が主催の陶器店に出品、大きな成功を収める。数年の間、ベルトンは多数の壷やジョッキ、皿などにニンフのモティーフを繰り返し取り上げた。1896年にフォリー=ベルジェールの演目の役のためのポスターを制作。これが唯一の興行関係のポスターとなった。第17回100人展のポスターを契機に自らのポスターを壁の装飾パネルと考えるようになる。そのため、取り上げる題材では花や女性が多くなった。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
河合新蔵とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎の水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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