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るふぇーう゛る リシュアン・ルフェーヴル
画家、ポスター作家。ヴァレンヌの生まれ。かなり若い時、工業デザインから仕事を始めた。シェレによって、1890年頃ポスターに関わるようになった。ポスター作家のジョルジュ・ムニエ、ルネ・ペアン、リシュアン・ベラクとともにジュール・シェレのもっとも有名なメンバーの中核をなす。シェ社のに属していたルフェーブルは非常にヴァラエティに富んだ作品を制作している。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年)
カテゴリー:作家
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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